私は責任者じゃない

chopper父の携帯電話が、いよいよバッテリーがだめになって買い換えたというので、取りに行ってきた。メインの目的はそれなので、朝早く家を出て、お昼ごはんを食べて、息子のおもちゃでも買ってもらえたら、それでいいや、というつもりで出かけていったが、行くたびにあれこれ問題が起こっている。
今回は長兄の亡妻の7回忌なのだそうで、そういえば、もうそんなになるんだなぁ、と思い、息子は用事があるし、自分ひとりだけでも出席させてもらおうか、と考えていたら、chopper母が少し嬉しそうに「次兄がこのごろ信心に目覚めちゃってさ、『安養寺での法事なんてしないで、自分たちが学会のやり方でやるから、そうすればどう?』みたいなことを長兄に話してくれて、そしたら長兄がへそ曲げちゃって、行くの行かないのって話になってるんだけど、どう思う?」と聞いてくる。
そりゃあ、今、次兄は乗りに乗っているし、池田先生からの激励もあったりして、いい気分だと思うけど、宗派が違うから、法事に行くとかいかないとか、自分たちで供養するからとかって、なんでそんな話になったのかが分からない。
あくまでも長兄の亡妻の7回忌なのであって、喪主は長兄なわけだし、今までだって、通夜から告別式、1周忌、3回忌にいたるまで同じようにやってきたのに、今、7回忌をやります、という連絡があって、段取りもすんでいるのにそんな事を言ったら、本人がすねるだけに決まっているやん。「学会はまたそんなことをいう」「それが理由でこないなら来なくていい」って言うに決まっているやん。50年近くも親兄弟やってきて、どうしてそれがわからないのか?
こういう節目のときだから学会に戻っておいでよ、と兄を思う気持ちもよく分かる。でも、今までかたくなに拒んできているのもわかっているし、そういうことを言われると分かっていても連絡してきてくれるという事の気持ちを汲んでやる、という事がなぜできないのか。


長兄の所では坊主が来たけれど、自分たちはやっぱり、法華経で供養してやろうよ、とあとで自分たちだけお題目を送る事もできたのに、どうしてこじれる方向へ持っていってしまうのか。
じゃあ、あんたたちは友人や親戚がなくなったり、法事があったりしたときに、宗派が違うから、その場に行って供養してやる事はできない、自分たちのやり方で供養させてもらうから、そういう風に言うのか?嫁に出た私の立場はどうなのよ?と少し言い過ぎたかもしれない。
だって、chopper母が次兄家族を呼んで、私に説明しろ、というから。結局、みんなで出した結論は、「やっぱり長兄の所へみんなでいってやろうよ。それをchopper父に電話で言わせよう」という安易な解決の仕方だったわけだけど、にべもなく断られ、どうしてか私に電話が回ってきた。「7回忌をするんだってね」というと「やるんだけど、安養寺が気に入らないらしくて、親父もお袋も、弟も来ないって言うし、学会さんは学会さんのやり方で供養するって言うからそうしてくれればいいし、お前も、無理に合わせてきてくれなくても、来るついでがあるときに仏前に手をあわせてやってくれればいいから。こういうのは気持ちだから[仕方なく]とかできてもらいたくないわけよ。「坊主に払う金が勿体無い」とかそんな事までいわれて今更来てもらいたくないから。だから、実際やるけど、無理に来てくれなくてもいいよ」とまあ、穏やかな口調で丁寧に断られてしまった。
怒るのは無理ないでしょう。
喪主のやり方に口をだすなんて。
これが、chopper両親の告別式をやるときに長兄が喪主だから安養寺で、っていうのならみんなが反対してもいいと思うんだけどね。


そして、その後の対応をどうするのかを私にゆだねるのはやめてよ。私は「当日無理にきてくれなくても、いつか仏前に手を合わせに来てやってくれたらいい」といわれたから「じゃあそうさせてもらうわね」と答えたけど、それは、みんなに向けて出されたメッセージではないのだから、「じゃあ、自分たちはどうしたらいいとおもう?あんなこといってるけど行ったほうがいいよね」とか「いくのはやめるか」とか、私に聞くのはやめてもらいたい。



結局、栗東に電話を取りに行ったはずなのに、みんなを怒りにいっただけみたいになって何だかとっても疲れた。
前日、むかつきがひどくて眠れなかったのは、これの前兆だったのかもしれない。