評価する側とされる側

今日はclさんが関西方面に来られているという事で、『みー』さんの招集により、京都へ出かけてきました。
帰り道、旦那と決算賞与の話から、「仕事をどこまで頑張るか」とか「細かいところまで気が付く人は何をどんな風に取捨選択して仕事をしているのか」みたいな話になって、私自身は思い返してみれば「あまり評価されなかった」と思っているので、そう話したら「自分は仕事を作って、評価をする側だから、よくわからない」といわれてしまい、話がだんだんかみ合わなくなってきて、悲しくなった。
主治医が以前「仕事でも、家庭でも、100%頑張るなんてことはできないんですよ。だけど、chopperさんは、仕事もし、家庭のことも完璧にこなそうとしてきたでしょう。今は180%頑張っている状態なんだよ。こんなに頑張っているのに自己評価が低すぎる。だからもっともっと頑張ろうとしてしまうんだよ」っていわれた話をしていたら涙がこぼれていた。



私は、自分のしてきたことをちゃんと評価してもらいたかっただけなのかもしれない。主治医だけが私を評価してくれていると感じていて、だから先生の前で泣いてしまうのかもしれない。だんなと、仕事の内容が違うから、と意見が合わないことを気にかけないようにしていたけど、実は旦那と意見が違うのがとても悲しい事だって今日は感じた。
だから家庭の用事に関しても、私の状態なんて考えもしないような用事の頼み方をしたりするんだなぁ、とちょっぴり思ってしまった。
主治医からは、「家族関係として、夫婦の関係もこれから再構築していかないといけない部分がたくさん課題としてあるように思う」というお話があった。私はまた先生の前で泣くんだろうか?