非日常的な贅沢と思い出される悲しさ

京都のホテルでの朝、久しぶりにとてもすがすがしい気分で目が覚めた。前日にビールを1杯飲んだせいもあってか、睡眠薬のお世話になることもなく、自然に眠りにつき、途中覚醒もなくぐっすり眠ることができたから。一緒にチェックアウトして、京都駅の近くまで送ってもらい、異世界にでもいるような気分で全然違う自分がいるような感覚で自由な時間を満喫した。


ただ、京都タワーの手芸用品店でたくさんの手芸用品に囲まれたとき、天王寺のABCクラフトにいるときとは全く違う感覚に襲われた。子供の頃に見慣れていたはずのものたちがそこにはあった。すべて母親が趣味と実益を兼ねて携わっていた、いわゆる「手芸」と呼ばれる類のもの。たくさんの毛糸、刺繍糸、図案やフラワーテープ。フェルトやアップリケ、絎け台やものさし、まち針や編み棒など、それらはすべて私から母を遠ざけるものだった。私のために何かを作ってくれたことなどほとんどなかった。頼み込んで頼み込んでやっと1点か2点の作品が私の元へやってきた。だけどそれ以外はすべて他人のための作品であり、見せるためのものや頼まれて作ったもので、人手に渡っていってしまうものだった。公民館に習いに行くときはよくついて行ったけれど、いつも違うスペースで絵本を読んでいた。「とこちゃんはどこ」という今で言うなら「チャーリーをさがせ」みたいな本をよく読んでいた。本の中で勝手に動き回るとこちゃんは私だったのだろうか。「ぶたぶたくんのおつかい」で買い物をするぶたぶたくんはお手伝いをする自分だったのだろうか。いつもその2冊ばっかりを読んでいた。


その頃は手芸の腕前がよかった母を誇らしく思っていた私は、同じようになりたかった。でも同じ事をさせてはもらえなかった。いつも端布や余り糸をそっと集めて、見よう見まねでやってみたけれど、教えられたわけではなかったので、中途半端なできだった。そんな私の作品を見ては「あんたはぶきっちょね」とよく言われた。
いろんな事をしている母を見ていた私は、その手芸用品店の中で、あれも知ってる、これも知ってるなどと思いながら、それにまつわることを思い出すたび胸が痛み、重くなっていくのを感じていたが、どうしてもそこから離れがたかった。
端から端まで2周か3周して、もう見るものがない、と言うところまで来たときにようやく違う階に行く決心がついた。どこかで思い切らなければ、ずっとそこでたたずんでいたかもしれない。


そのあとエレベーターで上がった先はブックセンターで、こぢんまりとした店だったが、どこからともなく吹き抜けていく風が気持ちを新たにしてくれて、また端から端まで何時間も店の中にいた。普段のように、家族と一緒で誰がどこに行ったかとか、時間を気にしながらとか、どんな本を見ているのかを見られるのを気にしたりとかの時間ではなく、本当に自分だけの空間に好きなだけいることができた。


そして5冊の本を買い、お昼ご飯も食べていなかったことに気がついて、店をあとにし、少し遅くなったランチをとって京都を出た。