今日は「看護の日」の行事に、技師会からお手伝いに行きました。
朝は9時半に大阪城公園駅で集合だったので、玉造のマクドでコーヒーを買い込んで、駅で立ちんぼして熱いコーヒーをすすりながら皆さんの到着を待っていました。


初めに現れたのは、一番会いたくなかったI上さんでした。まぁ、向こうは私に対して思うことがあるわけでなく、ごく普通に話してこられたので相手をしていました。どうしても聞いてみたかったので、思い切って聞きました。
「何でやめたの?」と。すると即答で「あの人と合わなかったのよ」と言われました。R子のことだなぁ、とは思いましたが、一応確認しました。「I田の事ですか?」そうしたら機関銃のごとく言いたい事をまくし立てられて、要するに、年下のくせに年配のものに対する礼儀がなっていないとか、ものの言い方が気に入らないとか、そういうことだったわけで、ある意味想像のつくような内容でしたが、あまりにも一方的に悪者にされていくので、何だか自分も責められているみたいで悲しくなり、かなり弁護しましたが、聞く耳を持たず、といった感じでした。新しい看護師さんのこともそうだったけど、私たちが経験してきた事を数日見学に来ただけで、決め付けられるのは辛かった。


院長のことについても「先生が切るものをきちんと切らなかったりするからいけないんでしょ」とか言われてしまい、院長を弁護するつもりはないけれど、後釜として育てようと思う人たちがどんどんやめて行ってしまっては、やめるにやめられない状況、というものがあるわけだから「あんなにやめるとかいってたI田さんだって結局やめてなかったし、やめないんでしょ」と不満げに言うので、思わず「いや、近いうちにやめると思いますよ」と言ってしまった。そんなこと、ほっといてくれたらいいのに。


お昼ごはんも一緒に食べたので、色々話を聞いたけど、とにかく不満の塊みたいな人で、もともと勤めていた病院でも、自分より若い人間からえらそうな態度をとられたり、仕事を教わる上で文句を言われたりすることがいやで、やめたかったらしい。
だから、R子うんぬんよりも、自分を人生経験の豊富な先輩として奉って欲しかったのかなぁ、と思い、そんなことを言っていたら、どこに行っても一緒やんなぁ、と。いくら年下でも、そこの病院や部署では先輩に当たるわけだから、くやしくても教えを請わなければならないこともあるだろうし、頭ごなしにしかられる事だってあるはず。そんなこと、どこの世界だって一緒。それがいやで、仕事をしたくない、というならばどうしようもないなぁ、と思い、やっぱりただの根性なしやったんか、と思った。


私自身は、R子のことをいわれるのが自分の身を切られるようにつらくて、
「あなたたちは長い年月をかけて作り上げてきたことだから、それに従え、と言うのもわかる。でも、経験や知恵だってあるのに、人の意見も聞かずにピリピリした雰囲気の中で仕事をするのは嫌だった」と言われて
「彼女だって辛かったと思います。本来なら、私が教えるべきことまで教えなければならなかったし、ほとんど同時に新人二人を抱えて、指導しながら、仕事はこなしていかなければならないし、いっぱいいっぱいで、ピリピリしてたのはある程度仕方のないことだと思ってもらうことは出来ませんか」と精一杯、相手を傷つけないように注意しながらかばってみたが、ダメだったみたい。R子ちゃん、力不足でごめんね。


おなかが痛いと言いながら帰ってきた旦那を捕まえて、今日あったことを話していたら、いろんな思いがこみ上げてきて涙が流れた。こんな根性のない人に振り回されて、病気が理由だったとはいえ
「あなたに責任のある仕事は任せられない」
「彼女の事は看護師に任せているからあなたの出る幕はない」
とまで言われなければならなかった悲しさと、あくまでもR子が悪者で、そのせいでやめた、と言われるのが悔しくて、涙を抑えることができなかった。
だんなは「そんなことで泣いたって仕方がないじゃん」というけれど、私にとっては一大事なんだもの。
「沈みかけた船の船長は、『自分の船が沈むわけがない』と思っているから、膝元まで水がきていても『水なんて見えません』と言う乗組員だけが残るんだよ。ママは『この船は沈んでしまいます』と進言してしまうからおろされたんだよ」なんてことを言われても、理屈はわかっていても、理解できないよ。