「当たり前」じゃないの?

今日は傷病手当の用紙を書いてもらいに心療内科へ。
ずっと調子が悪いこと、自分の存在は迷惑以外の何者でもないのではないかと言う気持ち、拠りどころがないこと、自分のためにもうこれ以上お金を使わないで欲しいと思っていることなんかを話した。ヘルパー2級の講座が始まったけれど、思ったよりも自分の気持ちの昂揚が見られなかったことも話した。


先生は「家族はおかあさんにとって家庭が快適に過ごせる場所になれるように、食洗機を買ったり、冷蔵庫を買い換えたりしてくれたわけですよね。それなのにあなたがその事に対して喜びを感じられていない。それよりも周囲の人が優しくしてくれる事が負担に思ってしまう。そこが問題なんです。主婦だって立派な事ですよ。今のあなたの考えで行けば、主婦はみんな同じように思わなければならなくなってしまうことになるでしょう。でも、主婦として家事をし、子育てをすることに誇りをもってやっている人たちがたくさんいるわけですから、まずはそこに自信が持てるようになりましょう」といつものようにおっしゃる。


「そうはいっても結婚をして家庭を持ち、出産をして子育てもしてきて、なおかつ常勤として仕事もこなし、それ以外にも技師会や他の事での世話人までやってきて、いろんなことをすることで自分のアイデンティティを保ってきたと思うので、拠りどころがないと感じられるのは当然ですし、苦しい気持ちも理解できます。ここまでやってきた事は本当に立派ですごい事だと思いますよ。だけど、ここで発想の転換ができなければずっとこのままで行くわけには行かないんです。ヘルパーの勉強も始めてしまった事だし、やりとげられたとして仕事に就くようになっても、家庭を中心に考えるようにしましょうね」とも。


「人間は他人に厳しくて、自分には甘いものです。周りを見て御覧なさい。みんなそうでしょう。あなたはとても自分に厳しくなければいけないと思い込んでいる。おそらく幼少時からそういう風に叩き込まれてきたのでしょうから、考えていたよりも根っこは深いのでしょう。それでももっと自分に甘くていいんですよ」
「今は意欲も何もないでしょうから、ゆっくり休んでいればいいんです。だけど、周囲の人が優しくあるほど自分を責めてしまうところに問題があるんです」


「周囲の人たちが優しいのは、あなたが優しくしてきたからで、それは自分が築き上げてきた人間関係として自信を持っていいことですよ」


いろんな言葉で私を認めてくれる先生。
だけど、ずっと優しくされてこなかった私にとって「人に優しく」することは当たり前だと思ってきた。
私が「当たり前」だと思ってきたことは、ほとんどが当たり前ではなかったのか。
40年も生きてきて、私って何なんだろうか。


先生が「自分をいじめ続けていたらいつかだめになってしまう」とおっしゃっていた。私は、自分に厳しくて自分をいじめる事で自分を保ってきたのだそうだ。