息子の薬をもらいに行くついでに、自分が今直面している、「投薬変更の選択」について相談に乗ってもらった。最終的には、お盆休みもあるし、それが明けるまではこのままの投薬ですすめて、そのあとからまずはジェイゾロフトを試してみたらどうか、という話になった。どうしても三環系の薬の名前が思い出せずにいたのだけど、トフラニールだったなぁって、あとで思い出した。
息子の薬が到着して、取りに伺ったら、職場の患者様にまた出会ってしまった。今、自分のメインの薬局が職場のそばだからそういうことはあるはずだと、わかっているのに「この頃見かけないけど、どうしてるの?」とか聞かれるととても辛い。H恵みたいにある程度予測のつく休みかただったら、ある程度の方々にはご挨拶ぐらいできたのに、と考えてしまう自分がいる。
「ちょっと体調を崩してしまって辞めたんです。どなたにも、何のご挨拶もできずにやめて、ご心配をおかけして申しわけありません」こんなふうにご挨拶をしたあとは気持ちがもやもやしてへこんでしまう。
心配してくださっていても、聞くに聞けないし、どうしたんだろうと気をもんでいた、と言われると胸のあたりが重苦しく、キューっとしめつけられるようになる。
子供もいる手前、泣きたくても涙も見せられないし、苦しくて辛くて「やめてよかったのか」という気持ちが頭の中をよぎる。この前の気持ちのもやもやも、患者様から言われた一言が辛かったから。「あなたを頼りにしていたから寂しいわ」と。「今のメンバーも皆さんよくしてくれるでしょう?」とたずねても「今の人は(針が)うまく入らなくてつらいのよ」とぽろっとこぼされると、決して自分も上手ではなかったのに、そんな風にいわれて申し訳ない気持ちになってしまう。
前々職をやめて10年近くたっても、道ばたですれ違って声をかけてくださる方もおられる。でも、「出産でやめたの」といえば納得していただく事ができるのに。


F先生は「こうやって辞めた後も心配してくれる人がいるということは、『自分のやってきた事は間違ってなかった』と自信を持てばいい。すごいことやんか」と言ってくれるけど、私はどうしても申し訳なさが先にたってしまう。そこには院長が私に向かって発した「もし、辞めた理由を聞かれたら、『精神的な病気で』と答えてもいいの?」という言葉があるのかもしれない。院長にとって、それは「とても特別な事」だったはずだから。


しばらく書いてなかったけど、今度の土曜日は主治医に手紙を書いていこう。
少し、自分の気持ちの整理をしないと、夏休みを乗り切れない気がする。