手紙を携えて受診

久しぶりに手紙を書いて、心療内科へ行った。今日は土曜日だから、受付は2時までなのに、すっかり12時半までだと思い込んで、あせってタクシーに乗っていった。
受付を済ませてからもどんどん患者がやってくるのを見て、初めて思い出すぐらい判断力も鈍っているみたいだ。家にいるときには今日が土曜日だって言う事の自覚はあって、それにあわせてバスの時刻表を見て出かける時間を決めていたぐらいなのに、結局「受付が終わってしまう〜」とタクシーに飛び乗ったのだから・・・


診察室に呼ばれて、いつものように「今日はどうですか?」と尋ねてくださる先生に「久しぶりに先生にお手紙を書いてきました」と単刀直入に伝え、手渡すと「そうですか。では拝見しますね」と静かに最後まで目を通してくださった。ときどき表情が変わったり、めくる手が止まったりしながら、うなずくように読んでおられる姿を見ていると、それだけで少し安心できる。伝えたくてもなかなか伝えられなかった状態や思いを、文章化することで完璧ではないけれど確実に伝えられている、という気持ちになるからだろうか。
今回の手紙は、いくつかの要点があった。「自分には味方がいない」と感じてそのあとから調子が悪くなり、怪我がそれを増長させたと思うこと、周囲の人たちに対しての思い、少しだけまとめられた『家事』をしている姿を見られたくない理由、自分の子供時代の夏休みの事、ここしばらくのもやもやした気持ち、そして投薬変更について自分なりの結論。


先生はすべてを読み終えた後、言葉を選んでおられるのか、少し間をおいて「うーん・・・」と言い
「確かに『台所に立つ』というのがしんどくなるようなエピソードですよねぇ。何かに付けてあれこれ思い出してしまうのでしょうね」とおっしゃった。
「それにしても小学生のころから包丁を握っていたとはねぇ・・・」と少し驚いておられたが
「3年生ぐらいのころには『自分で何でもできるでしょう』と1人で何日も留守番をさせられたので、ごはんも炊き、味噌汁も自分で作って食べたりしていました。そして社会人になって、外で働くようになったら家に私のごはんはほとんどありませんでした」というと、ただただうなずいておられた。
私にとってはこの先生の「うなずき」が私を理解してくださっている、と思える安心感を得られる瞬間で、安堵感からか涙が流れてしまう。


そして話は変わり「前職の患者さんと出会った、という話ですが」と前置きをされ
「これらの患者さんの言葉は本音だと思いますよ。それだけ前職に貢献してきたと思いますし、あれだけ熱心に仕事をして患者さんに尽くしてきたわけだから、『社交辞令』だなんて思う必要はありません。うちでも長く働いてきた職員が辞めたりすると、皆さんたくさんあれこれ聞いてこられますよ。あなたぐらい頑張ってきた人が、患者さんの印象に残っていないわけがない。『自分はよく働いてきたんだ』と自信を持っていいことだと思います」と話してくださったので、
「私自身が、やっぱり患者様に対していろんな思い入れがあって、だからこそ、どなたにも何もご挨拶する機会を与えられずに辞めた事が申し訳ないような気持ちになってしまうんです」と答えると
「あのときは、仕方がなかった。他に選択肢を選ぶ余裕がないほどの状態だったのですから」と私が申し訳なさや罪悪感を感じる必要がないことを強調され、身も心も全てを犠牲にして働いてきて壊れてしまった部分をゆっくり取り戻す時間が必要な時期だったのだと話してくださった。


投薬変更については、台湾から戻ってからジェイゾロフトを開始する、ということで落ち着いた。
来週の木曜日まで薬がある、ということで、今回は投薬なし。投薬内容に変更がなくても必要最低限しか処方するつもりがないようだ。


ご自分で「あなたは診察も全力で受けている」と『適当』を勧められているのに、こまめに来院するように仕向けておられる。
仕事を休むまでの攻防、辞めるまでの葛藤、辞めて家にいるようになってからの焦りや不安。
先生から「こちらが考えて受け止めていた以上に深刻な状態にあると思います」と何度おっしゃってこられたかわからない。
休職するときは
「今夜中に院長先生に電話をかけて、状況を話して明日から休職するように。どんな事をいわれてももう待てないところまできていますから、今回ばかりはこちらの指示に従ってもらいます」と言い切られた。
辞職することを決めたときには
「辞める事については賛成です。いずれは仕事を辞めてもらいたいとずっと思っていたから。でも、辞職する事を決めた経緯については非常に辛くて残念な結果になったとしか言いようがありません」とねぎらいといたわりの姿勢を見せてくださった。
辞めてからは
「手続きが済んだらすっきりする人が案外多いですよ」と初めは楽観視されていたけれど、泣いてばかりの私に
「1番が自分の健康、2番が家庭・家族。家事なんてできなくてもかまわないから、息子さんとともに過ごす時間をたくさん増やして大事にしましょう。そのうち家事にも自信が持てるようになりますよ。家庭にいることに自信が持てるようになることを目標にしましょう」と優しく、時には厳しく見守ってくださっている。
ほんの些細な事で涙を流して、週に何回も診察に伺っても絶対いやな顔をされずに話を聞いて、私が進むべき道を示して安心感を与えてくださる。


今回は「よくわかりました。わかったつもりになりました」とご自身の言葉を訂正された。
今まで以上の先生のお心遣いに感謝。
そしてやっぱり涙。