悲しい

昨夜は、旦那が帰ってきてから、自分の気持ちを話していたら涙が出た。
「悲しい?」って聞かれてうなずくと
「何が悲しいの?」と聞かれる。
「前の日が眠れなくて、今日の講義の大半を眠ってしまったこと」
そう返事すると
「それは仕方がないことだね」と。
前の日が眠れないことについても文句を言ったり注意したり、怒ったりしない旦那。ひとつひとつのことをいちいち聞いてもらって、私の涙を受け止めようとしてくれる。
今日だって、自分が起きて風呂にも入っていない状態なのに、息子のお弁当を買いに付き合ってやってくれたり、お迎えにも1人で行ってくれるようになったりして
「しんどいんだったら家でゆっくりしてたらいいよ」
と声をかけてくれて、とても大事にされていると思う。大事にされすぎて申し訳ないような気持ちになってしまう。


先日、心療内科でもらったコピー『思考の誤り』には「第8章 自動思考を検討する 161」とかいてあったため、それを手がかりに書籍を購入した。

認知療法実践ガイド基礎から応用まで―ジュディス・ベックの認知療法テキスト

認知療法実践ガイド基礎から応用まで―ジュディス・ベックの認知療法テキスト

実際には、認知療法をはじめようとしている、あるいはスキルアップをはかろうと考えている専門家へのガイドブックだった。でも、この本をパラパラめくるだけで、なんとなく自分のことを考えてみよう、という気持ちになるから不思議。
認知療法をちゃんとやろうと思うと、とても大変なので、とりあえず、コピーにいつも目を通すようにしてくださいね。きっと役に立つから」とおっしゃった先生の言葉が身にしみる。
悲しい気持ちはなかなか変われないけど、少しずつ少しずつ、無理しないように進んでいきたい。
私には泣いても受け止めようとしてくれる人がたくさんいる。
私の思考を前向きに前向きに向けてくれようと考えてくれる人もたくさんいる。受け止めきれずに逆にプレッシャーになってしまうときもある。
その事が原因でもっと泣いてしまう事もある。だけど、その事も静かに受け止めてくれる人たちがいる。
「甘えてもいい人」がたくさんいるんだってやっとわかってきた。


うつ病」と診断されて、もうすぐ1年。去年の昨日、初めて先生の前で泣いてしまった。そんな時期が来て、またパニック状態になるのではないかと不安がよぎる。去年と同じようにまた旦那が長期海外出張に出てしまうから。次に診察に行くときは、その不安を話すことになるだろう。