突然きたパニック

今日はなんだかとてもしんどくて、結局リハビリも受けず、膝と腰の注射だけしてもらいました。
疲れていたけれど、いよいよ今週末は施設実習なので、ずっと延ばし延ばしにしていた場所の下見に行ってきました。できるだけ効率よく回って帰ろうと思ったら、谷9→都島→バスで高殿→乗り換えて家の近くのバス停というルートがいいと判断し、地下鉄で都島まで行ってバスに乗りました。目的のバス停から自宅までの時間を計ればいいと考えたから。とりあえず生江から高殿までは10分ぐらい。高殿から家の近くまでは30分ぐらいかかりました。8:15に集合しようと思うとかなり早い時間に家を出なければならないことがわかり、ひとまず目的は達成できました。


ところが、都島からバスに乗って、しばらく行くと見慣れた風景に出くわしました。久しく行っていないBELLFAです。以前はトイザらスユニクロダイソーなどがあって家族でよく行きましたが、子供用品、特にベビー用品を必要としなくなってからはほとんど出かけることがなくなっていました。
BELLFAとともに思い出されるのはK木さんです。とても近所に住んでおられるはずです。都島文化会館を見てK木さんを思い出し、BELLFAをみて近所にきていることに気がついたときには何とも言い難い苦しい気持ちでいっぱいになりました。私が大阪中央の健光Gの副委員長をさせていただいているのもK木さんの推薦があってのことでしょう。独身の時からずっとかわいがっていただいて、いつのまにか一緒に仕事をするようになって、結婚するときも指導を受けに伺ったりして、ずっとずっとお世話になってきたK木さんです。今でも道ばたや会合で会うといろいろ話を聞いてもらっています。以前に前職を辞めようとしたときもずいぶん心配をおかけしたものでした。それでも仕事を続けてきて、私はとうとう鬱病になってしまった。創立80周年を迎える節目、しかも新しい会館が完成したこの大きく大事な節目に役職をいただいておきながら、何もできない自分を思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
BELLFAの前を通り過ぎるときぐらいから、そんなことがあるわけがないのに
「もしここでK木さんと出会ったら、合わせる顔がない」
「今の自分の姿を見せられない」
そんな気持ちが次から次へとわいてきて胸が苦しくなってくるのを感じました。心なしか動悸もするような気がして、「わーっ」と叫びたくなるような気持ちをこらえるのがやっとで涙が出そうでした。
前々職の理事長が言われた
「私はK木さんとT垣さんの二人は絶対何があっても手放さへんねん」
という言葉を思い出しました。それは私に向かって投げられた言葉だったので
「あんたもこの二人ぐらいにならないと手元に置いておけないよ」
という意味だと感じていました。
どちらも私にとっては人生の先輩です。そして理事長がこの二人を手放さない理由は仕事ができるできないだけではなく、人生の先輩としての生き方そのものを指していることがわかっていたので、そうなれない自分は手放されるのだと引け目に感じていたことを思い出しました。
自分の人生だけど、そのとき目指す方向には進むことができず、こうやって病気になってしまった弱い自分が悲しくなって、家に帰ったら涙が止まりませんでした。


気持ちがどんどん下降していくのがわかります。それではいけないこともわかっています。
先日、主治医から「過去にこだわらず、先のことを見据えてやっていきましょう」と言っていただいたのに退行している自分がいます。
こうやって日記を書いていても胸のあたりがもやもやして大きな石のかたまりがあるようで、息苦しくなってきます。周りの空気がまとわりつくように私を締め付けてくるような気さえします。
明日、診察に行ったら、どうやってこの状態を説明すればいいのでしょう。


今書いていることをそのまま手紙にすればいいのかな・・・・・


今の私にとって、仕事に関係することはすべてストレスなの?