動けない自分を責める気持ち

先週はとても忙しかった。土曜日の塾の送迎から、日曜日のお出かけ。月曜日は2回も日赤に足を運び、火曜日は耳鼻科と整形のはしご。そして参観&懇談。水曜日には塾の送迎の合間に整形と心療内科のはしご。木曜日はエステ。金曜日だけ1日中寝ていた。土曜日も少しゆっくりして、だけどたまりまくっていた家事(おもに洗濯と洗い物)を片付ける。日曜日はドクター部の関西池田記念会館の開館記念勤行会。本来、とても有意義な会合だったり、予定であったりしたわけだけど、どこへ行っても感じてしまう疎外感と孤独感。
本当は自分はこの場にいてはいけないのではないかという罪悪感。特に勤行会では、「自分が参加しなければ、他の誰かが参加できて、もっと有意義な会合にできたかもしれない」という気持ちになった。ずっとがんばってきたことをわかってくれる人たちとの再会はうれしかった。「あの頃、がんばってきてよかった」心からそう思えた。でも、でも、じゃあ今の自分はどうよ?って自問したとき、私には答えが出せなかった。


今週の心療内科では、そんな気持ちを洗いざらいはき出した。
先生は静かに
「休むことに慣れられていない」
「どうしてもずっと刺激を求め続けてきた人生を送ってきたので、仕方のないことだけれども『休むこと』にものすごい罪悪感を感じてしまっている」
「以前と比べたらずっとよくなってきているので、働こうと思えば、今からでも働くことはできると思うが、反動は並大抵のものではないと思う」
そう話してくださった。
家庭のこともできておらず、予定がなければひたすら布団に潜り込んで着るばっかりの私に仕事なんてできっこない。
「自分が出来損ないだと思ってしまう」そう伝えたら涙がこぼれた。


こんな私なのに、旦那も息子も私を必要としてくれている。どちらも私と一緒に寝ようと主張する。
朝起きれない私に対しては何も言わずにいてくれる。
息子でさえ、自分が遅刻するようなことがあっても絶対に私を責めたりせずに出かけていく。昼間寝ていても、鍵を開けておけば、自分で着替えて勝手に学童に出かけていく。
だけど、今の私は自分のこともできず、家族に対しても「自分のことはそっとしておいて」と叫びたくなるような気持ちではち切れそうなのだ。


これまで、春はいろんな制度の改正などがあり、上司に「もののけ」がついたようになって振り回されてばかりだったから、体がそれを覚えているのかもしれない。勤行会の前には前々職の上司にしかられている夢を見た。前職の上司の「もののけ」のおかげで春はぴりぴりし続けていた。心も体も安まるときがなかった。今は体だけでも休めることができるのだから休んでおけばいいのだろうか?