疲れと胸の重たさと心の闇

昨日は息子のカードラリーにお供して、みさき公園の先の多奈川というところと、岸和田からバスで白原車庫というところまで。行くときは結構時間がかかったけど、帰りはスムーズで思いの外早く戻ってこれたので、調子に乗って大和西大寺まで。旦那と難波で待ち合わせて携帯の物色。夜ご飯はマックスバリュで。
帰宅後はしばし放心状態で、いま自分が何をしていたのか、このあと何をするつもりだったのか、全然頭の中と体がつながっておらず、思考停止とともに、行動も中断することがままあった。
なんとか風呂には入ったものの、それですべての力を使い果たしたようでしばらく惚けていた。


どうしても洗濯物を干す、と言う作業ができない。家事全般できないが、特に洗濯干しは思い切らないとできない。今も2度目の洗濯がすんだところ。これを干さないと、次の洗濯ができない。わかっているのにどうしてもできない理由は何なのか、ゆうべ、惚けながらそんなことを考えていた。


ふと頭に浮かんだのは、西宮で一番長く生活した家のベランダ。2階で、雨よけのトタンが貼ってあってよっぽどのひどい雨でなければ洗濯物を干すことができた。そこでの物干しは、私の仕事であることが多かった。取り込んでたたむのも自分の仕事だったように思う。アイロンがけだけはたいてい母親がしていた。
当時、長兄が嫌いだった私は、どうやって長兄を殺して自分も死ぬか、ということをよく考えていた。それでベランダから飛び降りたら死ねるのか、と何度身を乗り出して下を見て考えたかわからない。そして、子供心(当時小学校低学年でした)にも実現することは不可能だと感じて、ずっと我慢を重ねてきたのだ。
そんなことを考えていたら、胸のあたりに塊ができて重くなった。あたりまえだ。苦しみと憎しみと辛さと我慢の入り交じった塊。あきらめよう、忘れようと思いながら、どこか心の片隅に残っている気持ち。
たとえ実行していなくても、心の中では何度も家族を殺してきた自分。時には己自身も殺してきただろう自分。闇の世界に住む自分が、現実世界の自分にのしかかってきている。


苦しい、重い、辛い気持ち。誰にもわかってもらえる訳のない気持ち。そんな暗黒な部分を持っていることを知られたくない自分。こんな気持ちで知人に会いたいと思えるわけがない。もしかして、そんな部分を見透かされたりでもしたら、こんな恐ろしい自分は見捨てられてしまうに違いない。そんなのは嫌だ。