自分で自分を責めないで

昨日、日記を書いたあと悲しくなって布団に逃げた。布団の中であれこれ考えていたら傷病手当のことを思い出し、それを口実に受診しようと決めた。決めたら行動あるのみだけど、なかなか支度が進まない。用紙に必要事項を記入して、はんこを押してクリアファイルに挟んでカバンに入れる。これだけのことにものすごく手間取る。必要以上に確認魔になっているようだ。
やっと家を出ることができたのはすでに12時を回ろうかという時間。バス停まで走ってみたものの、バスがくる気配がなかったので地下鉄の駅までタクシーを飛ばす。地下鉄に乗って鶴橋へ。ここからはあわてる必要はない。ギリギリだけど受付時間には間に合うはず。


受付をしたら「8番目です」とのこと。でも人の数はもっといるように感じられた。もしかしたら「18番目」なのかな?とか思いながらどこにも行かず座って待つ。
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「擬態うつ病」という宝島社新書を購入して読んでいるのだけれどなかなか内容が理解できない。長い待ち時間を想定して持参していたが、しばらく読んでいるうちに疲れてきてやめてしまった。柱そばの席が空いたので柱に寄りかかるようにしてただ時間が過ぎるのを待つ。


口から砂を入れられたかのような気分の重たさと、体の中に手が生えて、心臓をわしづかみにされているような心苦しさとが容赦なく襲いかかってきて診察を待つ間にも涙がこぼれる。
自分はどうして今ここに座っているのか?どうしたいのか?先生もたくさんの患者を診察されてお疲れなのに、私は診察を受けてもいいのか?迷惑なんじゃないのか?いろんな負のスパイラルに巻き込まれそうになる。何も考えまいと週刊誌を手に取るが、内容なんか把握できない。結局パラパラめくって片付けてしまった(他人がおいていったものだったが、片付いていないことにもイライラしていた)


そうこうしているうちに2時間近くが過ぎて、診察室へ。まずは忘れないように傷病手当の用紙を提出する。
「どうですか?」と尋ねられてもうまく答えられない。
「少し楽になったような気はしますが、よくわかりません」と。
それから休日に息子と二人で遠出をしたこと、今は遠出は楽しいが、近場での買い物やちょっとした用事に出るのが近隣の目が気になって怖いこと、そのために携帯をミュージックプレイヤーとして使用し、常にヘッドホンを装着して声をかけられることに対して防御していることなどを話した。
主治医からは
「遠出をすれば知り合いもいないので、ゆっくり羽が伸ばせて気が楽であろう事、近隣の人たちについては自分が思うほど相手は何も考えていないから大丈夫、でも仕事のこととか聞かれたら辛いところだろう」
との言葉をいただく。言われれば言われただけ涙があふれてくる。
おばあちゃんの発言(「ママに楽させたろうと思ってやっている云々」)については
言葉が出た瞬間に「あっ、それは・・・」と言い
「その言葉は何気なく出たのでしょうけれど、不適切な発言ですね」と。
「やるならおばあちゃん自身の気持ちでやってもらわないと。この発言は息子さんに対しても失礼だし、あなたにも失礼だ。かちんと来て当たり前」
そう聞いて、
「感謝しなければいけないはずなのに、嫌だと思う自分の感情」
は正しかったんだと少し肩の荷が下りたような気持ちになった。
「洗濯物が干せない」と訴えた。
「洗濯機の中のものを干さないと、次の洗濯ができないのにどうしてもできない」
そう言って泣く私に、洗濯物を干している場所の状況などを聞きながら
「口で言うと簡単なことのように思えるけれど、実際はとてもエネルギーのいることです。無理にやらなくても構わない」
とおっしゃる。


そして静かに血圧を測りながら
「今はできたことだけを喜びましょう。だから息子さんと遠出できたことはよかった、と思って。それ以外のできないことには目をつぶってゆっくり休みましょう。決して『できない自分』を責めないように。自分で自分を責めてしまうのがこの病気ですから。いいですね」
と締めくくられた。泣きながら診察室を出た。そして、受診したことはよかったんだと感じた。