語れない自分のこと

息子と同じ布団で寝ると、ときどき「ママの話をして」と言われます。
ママが生まれたときはどうだったのか
ママが幼稚園の時はどうだったのか
小学校は?中学校は?高校は?専門学校は?
お仕事してからは?結婚してからは?
自分が生まれたときはどうだった?
いろんな方向から質問攻めに合うことも多いです。


それ以外に、自分のことを聞きたがるときもよくあります。
妊娠したときどうだった?
おなかにいる間はどうだった?
生まれたときは?
赤ちゃんの時は?
保育園時代は?
これらの質問に答えることはそうむずかしいことではありません。思ったまま、感じたまま、起こったままを話せばいいのですから。


だけど、私自身のことを聞かれると、答えに困ってしまいます。
いい思い出があまりないことと、私自身に記憶がないからです。
2〜3歳の頃から、外から鍵をかけられて一人で留守番をし、小学生になってからは料理を仕込まれ、親だけが泊まりがけで出かけていき、やっぱり一人で留守番をすることが多かったのです。
来客があるとなれば、料理の下ごしらえの一員として頭数に入れられて、半日ぐらい包丁を握り通しで、調理をして客に振る舞い、もてなすのは親の役目。ガラス戸で仕切られた台所で、後片付けと、次の料理を出せるように待機しておくのが私の仕事でした。台所は玄関を入ってすぐのところにありましたから、来客に愛想を振りまき、奥の部屋に案内することや、帰る客への挨拶も忘れてはなりませんでした。
ときには、宴席に呼ばれることもありましたが、所詮は大人の世界、やれ料理がなくなった、やれ酒が足りない、灰皿の交換をしろ、と下女のような扱いでした。
長兄が大学にはいると、友人を連れて麻雀をすることもしばしばで、親もその中に混ざって麻雀に興じていましたから、やっぱりおさんどんは私の役目でした。おなかが空いてくると、ご飯を炊いておにぎりを作れとか、味噌汁はインスタントはダメだとか、用事を言いつけられるのを待ちかまえていなければなりませんでした。そのくせ、自分たちが遊び疲れると、麻雀パイの片付けやテーブルの片付け、さらには寝床の用意まですべてが私の仕事で、それが終わると当たり前のように「いつまで起きているんだ。子供は早く寝ろ」と言われるのがオチでした。


アトピーがひどかったので、友人も少なかったし、いじめられることの方が多かったけれど、親には言えませんでした。喘息の発作を起こすようになっても、救急車の到着を待つ間、母は必ず風呂に入って自分の身なりを整えてから病院に行きました。
専門学校も、実習先の病院も遠くて、帰ってきたらくたくたなのに、やっぱり台所仕事が待っていました。
働き出しても多忙で、なかなか早く帰れない私に向かって「おまえは『仕事』だといって、実は遊んでいるのだろう」と言い放たれ、情けない思いもしました(このときはさすがに腹が立ち、その月のタイムカードをコピーして持ち帰って見せました)


結婚後も「おまえのような出来損ないをもらってくれたのだから、旦那さんに感謝して、尽くして尽くして尽くして尽くして尽くし抜いて、捨てられたりしないようにしなさいよ」と言われ続けてきました。


こんな私にも、楽しい思い出があるはずです。でも、思い出すことは難しく、さらにそれを子供に話して聞かせるのはもっと難しいのです。
子供に向かって「自分は不幸だった」とは言いたくない。だけど「こんな楽しいことがあった」と話ができない自分がもどかしい。
思い出せないほど、楽しい思い出は少なかったのか?
子供に語ってやれるほどの思い出を持ち合わせていないのか?


そんなことを考えていたら悲しくなってきて、自分の存在価値を見いだせなくなってしまいそうな気持ちになり、涙を流しながら寝ている旦那の手を握りしめていました。
無限のループにはまりそうな自分の体を起こし、デパスを飲んで、この記事を書いています。
休みが明けたら、診察日。
それまではデパスに頼ってでも、踏ん張ろう・・・