「看護の日」の行事に参加して、とっても疲れた。
息子が宿題をきちんとできていなかったことをしかったりして、甘えて寝たふりをしているのを3階の布団に運んだりして、さらに日曜日の朝から「ママがおきるまで隣で寝る」などといいつつ、絡まりついて、安眠妨害をされたり、体中痛いし、眠いし、くたびれているし、と散々な週末だった。


ただ、気分はそんなに悪くない。仕事めいた事をしたせいで、少しハイになっているのだろうと思う。
金曜日に受診して、自分の気持ちを先生に聞いてもらい、自分が間違っていない事や、今後の指針となるようなアドバイスを頂いたことも大きく影響しているでしょう。
看護の日の仕事はたいした事ではなく、もともとやっていた仕事の数分の1程度の事だったのに、土曜日は結局ほとんど起き上がることもできないほど疲れてしまったので、しばらくは仕事はできないなぁ、とその点は悲しくなりました。
ずっとずっと寝ていたので、体力が落ちているのだなぁ、と。抗うつ剤が効いてきて、動く気力が出てきたら、まずは体力の回復に努めないといけない。
でも、もうすぐ苦手な季節がやってくる。梅雨に入れば気圧の関係で頭痛がひどくなるし、梅雨が明けかけて、夏が近づけば、暑くなりきってしまうまでがとてもしんどいから。
今までは、この時期がとてもしんどくて、毎年タクシー通勤を何回していたかわからないほどだったけれど、さすがにそれはなくなるので、まだましかな。しんどければ家で寝ていてもいいんだもんね。


ようやく、毎日何となく食事のしたくができるようになってきた。お惣菜のオンパレードの日もあるけれど、息子はママのお手製が大好きだ。後片付けも、その日のうちにできることが増えてきた。しんどさのあまり、食卓に並べるだけで「食べたら食器は流しに下げておいてね」と頼んで寝てしまうこともあるけれど、誰もそのことに文句も言わないし、本当にありがたい家族だと思っています。
こんなに私を大事にしてくれる家族に対して、やっぱり「何もできていない自分」を感じてしまう事を克服していくのはとても難しいことだと思うけれど、それが出来なければ先に進ませてもらえない。いつもこのことを思うと1人で涙を流してしまうけれど、今は仕方がないことなのだと思う。


どうして家族に家事をしている姿を見せたくないかについては、やっぱり母親の影響が大きいと思う。いろんな活動をしながら、家事をしていた母親は、そのことについて「やる事をちゃんとやっておかないと、活動する事に文句を言われるから」と私に愚痴をたれ、作業も手伝わせながらこなしていたように思う。小学校に上がった頃にはすでに洗濯物のたたみ方も体が覚えていたし、客が来るといっては振る舞い料理の下ごしらえを手伝わされ、給仕は私の役目だったので、既にその頃から私にとっての家事は「目立たずにこなす『影の存在』」だったのかもしれない。アイロンかけもしたし、目立たない事ばっかりやっていたものね。母親は編み物教室も開いていて、刺繍も習っていて、ミシンかけも得意だったし、編み機を使っての編み物もしていたので、人に見せることのできる「作品的なもの」を作って目立つ事をするのが上手だった。私はおかげで裁縫は大の苦手だったけど、刺繍だけはできた。母親が図案集やら刺繍糸をたくさん持っていたから。