気持ちの切りかえができない

[家族]息子の診断
前回の日記からずいぶん日にちがたってしまったけれど、
新しいクリニックに行き始めてようやく息子に診断名がついた。
「広汎性発達障害アスペルガー症候群」の感性を持っている、と。
今の主治医は息子のことを「こども」ではなく「一人の人間」として扱い、
アスペルガーは「病気」ではなく「個性」だと諭し、とてもわかりやすく接してくれる。
いろんな情報を詰め込みすぎて、整理しきれていない頭の中をすっきりさせるために
リスパダールを飲んでいる。


どうも寝つきはあまり良くないみたいだけれど、毎日ちゃんと時間に起きて(二度寝することもあるけれど)
顔を洗う、服を着替える、おばあちゃんの家に朝ごはんを食べに行く、といった
あたりまえだけど、今までできていなかったことができるようになってきた。
学校には始業式と、その翌々日の2日しか行けてないけど、頭痛も腹痛もぐっと頻度が下がり、
塾にはきちんといけるようになっていて、少しずつだけど前進できていると思う。


ただ、残念に思うことは、以前かかっていた小児科の先生が
自分でも「広汎性発達障害」を疑っていたにもかかわらず
現在のクリニックにかかりたい、と申し出たとき
「あそこへ行くと必ず何らかの『発達障害』があると診断されてしまう」
「何人か、紹介したことがあるけれど、ほとんどが納得できずに泣いて戻ってきている」
「それでも紹介状を書くことでおかあさんの気持ちが収まるのなら書かないこともない」
等々、嫌みや拒絶とも思えるような発言を続けたこと。


それなのに紹介状には当たり前のように「広汎性発達障害と考えます」と書いてくるところ。
この文章をみたとき、はらわたが煮えくりかえるような思いがした。
この数年間は何だったのか、状態の説明がついて、周囲が理解していれば、家族内で言い争ったり、
息子に無理強いをしてつらい思いをさせずに済んだのに…


それでもそこのクリニックに足を運ぶのは、脳外科の先生が息子の頭痛を理解してくれていて、
通常なら子供には出さない薬や、鎮痛剤をストックとして持っておくために頓服とはいえ、
できる限りたくさんの処方をしてくれるから。
ほかの小児科や内科ではそんなことをしてもらえないから。



[仕事]自分の非は認めない
先日、仕事中に内線電話がかかってきたのだが、いかんせん手の放せない用事をしていたので
「今は××の仕事をしていて手が離せないので、あとで聞きます」と早々に電話を切った。
そんな時は急いでる気持ちもあるので、ついぶっきらぼうに答えてしまうことが多いので、
気分を害する人もいるだろうとは思う。


今回はたまたまそういう人だった、というかそういう感情をもったらしく、
私服に着替えて帰宅しようとするところで捕まえられ、
「今日の電話、あの言い方はないと思わない?」といきなり言われた。
そこからはお互いに、言ったの言わないの、聞いたの聞かないの、の繰り返しで
はっきりいって水かけ論になってしまい、うっとうしかったが、自分の言い方も悪かろう、と
そこは謝ったのだけれども、相手は納得しない上に、自分には非がないと思っているようで
謝ろうともしない。


おまけに「ちょぱの電話で気分を悪くしている人がほかにもいるかもしれないと思うから言ってるんだよ」
と強調するくせに、他の人が来て、「どうしたの?」と聞かれたので話をしようとすると
「これはあなたと私の問題でしょ!! 他の人に言うことないじゃない!」と腕を掴んでまで阻止しようとする。


これでは何が言いたいのか、どうしたいのか、さっぱりわからない。
結局、間に入ってくれた人がいたのだけれど、喧嘩両成敗とはいかず、相手は謝らないまま。
こちらの多少なりの謝罪にも納得がいかない様子。
さらには仕事上での約束事ができていないせいで、こちらが振り回されていることを伝えても
「そんなことはありえない。みんなちゃんとできています」というだけ。
自分の言ったことだけが正しくて、こちらのきき方の態度が悪く、
こちらの返事の仕方が悪いがために、自分にはきちんと伝わっていなかった、
だから自分は悪くない、とでも言いたいのでしょうが、まさに「土下座して謝れ」ぐらいの勢いだったし
最終的には多勢に無勢の状態になってしまったので、くやしさから涙がこみ上げてきてこらえるのに必死だった。


そんな顔で表に出られないので、他部署の奥まった部屋に行って、涙が落ち着くまで置いてもらい、
事の顛末を聞いてもらったりした。
そういう意味ではたいがいの部署に私の話を聞いてくれて、いろんなアドバイスをくれる人たちがいて
とても心強い。


だけど、逃げ出したいぐらい、仕事に行くのが嫌になったり、
自分の部屋からほとんど出ずに、内線で呼ばれる以外の仕事が全くできなくなったり
帰宅後はもう口をきいたりするのも嫌なぐらい疲れきってしまって、
ご飯を食べるのが精一杯。
お風呂も休日に家族がお膳立てしてくれた状態で湯船につかるだけ。
顔ぐらいは洗えるけど、体を洗う・頭を洗う は別々にしかできない。
しかもお風呂だけで疲れ果てて、結局はまたベッドでゴロゴロ…


気持ちの切り替えができるようにならないと
ここからの立ち直りは時間がかかるんだろうな

おかあさんはよくやっている?

先日、自分の主治医の強い勧めもあって、
やや不登校に陥っている息子のことで児童精神科を訪れた。

息子は現在は小児科の中にある心療内科で月に1度のカウンセリングを受けているが、
改善の兆しどころか、退行していっているような状態なのと
祖父母による過干渉のせいで、すべてに対してやる気を失っている。

私との分離不安も強く、登校時、一緒に家を出られなければ、まずその日は欠席。
本当はこのままじゃいけないことなんてわかっている。
だけど、時間が解決することだってあるし、
周囲の大人たちが強制しすぎて構いすぎて、やる気を削いでるんやん。


自分の信頼する主治医からの紹介だったので、
勝手に期待をもって出かけて行ったのだけれども、
なにしろ、仕事以外、自分のことや家族のことを説明するのはうまくない。
そんな自分のせいで、息子のことを十分に伝えられなかったようで、
自分の中で消化しきれないものがいっぱい残ってしまった。


子供のことで、とても大事なことなのに、
主治医からも「あなたの健康も大切だけど、今の最優先はお子さんですよ」
そう言われてすぐに行動したつもりなのに。
どうして周りとうまく流れを合わせられないんだろう。

役立たず

[うつ]何もかもできていない自分
じじばばを伴って息子のカウンセリングの経過を聞きに出かけた。
ほぼ私の予想に違わぬ結果となったが、
ますます自分自身を貶めるような状況となり、幾度となく涙がこぼれた。

話の内容について、じじばばに直接聞いてほしい、と
重苦しい気持ちで口を閉ざしている私の表情に気付かない旦那は
私の口からあらましを聞き出そうとするし
仕方なく食事をとりながら少し話をした。

家に帰ってからもう1度

訃報

本日(といってももう昨日のことですが)、夫婦でよくしていただいていた方が胃ガンのため、48歳という短い生涯を終えられました。
元々は旦那の趣味と仕事の関係で、よくお世話になっていたので、「夫の友人」だと思っていました。

でも、明日の告別式には仕事で参列できないため、夫婦でお通夜に駆けつけ、奥様にお願いしてお顔を拝見したところ、好奇心旺盛で、まるでやんちゃ坊主のような笑顔があり、あふれる涙を抑えることができませんでした。


今日は朝からずっと頭痛が続いていて、気持ちがブルーになりそうだったのですが、もしかしたらこのことを感じ取っていたのかもしれません。途中で旦那に頭痛薬を分けてもらい、ほんの数十分ほどはしのげましたが、帰宅する頃には再発しており、さらに頭痛薬を追加したけれど、治る気配はなさそうです。
おそらく精神的なものから来ているのでしょう。
まだまだメンタルな部分が弱い私なのでした。

やりきれない感情

このところ、仕事にも力が入りません。
元々「暑くなるまで」に時期に弱く「暑くなってしまえば」大丈夫なのですが
精神的なダメージが続いています。


やっぱり私は母親として失格なんだろうか、ずっとそんな思いが頭の中で渦巻いています。息子のために良かれと思ってしたことは、ことごとく息子に負担をかけ、私自身のメンタルな部分をも侵して来ます。
そんなときに限って主治医は夏休み・・・
辛くて苦しくて、やりきれなくなって、職場でも笑顔が作れなくなるときがある。
部屋にこもって涙を流してしまう事も多々。


早く診察を受けて、今の状態から抜け出さなければ、という焦りも始まっています。


1人でスーパー規模の食料品売り場にいると、食料ににらまれているようで、襲われるのではないかという感覚に陥ってしまい、パニックをおこしかけ、ドキドキする心臓を押さえながら逃げるようにそこを立ち去ってしまう事も増えてきましたが、
子供のことで、いやな事を聞かされたり、言い争いがあってから、人ごみにまぎれて歩くのもドキドキしてしまい、頓服を飲む回数が多くなってしまい、次の診察まで足りるのか、それも不安です。


またちょっときえてしまいたい感情がわき始めています。
私がいなければ、いろんなトラブルは起こらなかったのではないかと。


とにかくネガティブな感情が先立って、家の近所で道に迷ったり、おろおろして自分のするべきことを見失っているような8月になってしまいました。

どないせぇゆうねん

ずっとブログを付ける元気がないぐらい疲れる日々を送っておりました。
今もまだ続いてはいるけれど、なんとか朝の「タクシー通勤」、夕方の「バス・電車の乗り過ごし」の回数も減り、
休日も活動できるようになってきたように思います。


それでも、できる限り残業は出すな、とか残業分は早く帰れるときに早退して調節しろ、などと半年以上働いてから言われても〜、みたいなこともあり、へこんだり、腹が立ったり。
ただ、ヘルパーの勉強をしていた子が資格を取って辞めていったので、目の上のたんこぶが一つ減って、仕事はしやすくなりました。


他部署の人たちとも世間話ができたりするようになり、毎日疲れて時には「もうご飯もいらんから寝かせて」と思うこともあるけれど何とか仕事だけは続けています。